純情仔猫物語

仔猫の一時預かりボランティアをしています。
里親探して三千里。どうかこの仔たちを家族の一員にと奮闘している泣き笑い日記です。

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今日はKAZUさんの三回忌です。
病院での別れからはや二年が経ちました。

一周忌もあっという間に感じられましたが、さらにそこから一年。
何も変わらない毎日。
ただ、KAZUさんがいないことには慣れたような気がします。
そもそも彼女とは猫保護活動を通じて知り合ったというわけではありませんので、二十年近い付き合いでしたから、当初はいない事自体で困ることが多かったように思えます。
仕事の関係もありますし、なっちゃんのこともありました。
一年目はそういった実務的な側面で彼女の不在を実感することが多かったです。
今年はそれにも随分と慣れて、今度は精神的な支柱を失ったことに対する喪失感を感じました。
ですが、月日の移り変わりとともに、少しずつ和らいでいった気もします。

私がKAZUさんと初めて会ったのは大学一年生の冬休みでした。
彼女が働いている職場に採用されたのがきっかけなのですが、なぜか気に入ってもらい、彼女の会社に就職することになりました。
それ以来ずっと、姉のような存在だったような気がします。
今こうして、この場にいるのはすべて彼女のおかげなのですが、死を見届けることになろうとは予想だにしていませんでした。

私たちの人生は人と人との縁で結ばれるものと言われますが、私にとっては彼女との出会いがなければどうなっていたか想像すらつきません。
ここまで深く関わらなくても、日々の生活の中で私たちは周囲の人の人生と複雑に絡み合っています。
できることならば、良い影響を与えられたらと心がけながら今後の人生を歩んでいこうと思っています。

今日の三周忌にはたくさんの方からお花など、いただきました。













すみません、お名前は省略させてくださいね。
本当にたくさんの方のお気持ちをうれしく頂戴しました。
KAZUさんのことを今でも心のなかに忘れずにいてくださることがなによりもありがたいことです。
夏らしいお花がたくさんで、彼女も喜んでくれていることでしょう。
私の事務所はむせ返るような花の香りでいっぱいです。

今私は来る11日の工芸展の準備で大忙しです。
ちょっと夏場は仕事が多忙で、準備が大幅に遅れてしまいました。
今回はぶっつけ本番な感じで、準備不足でご迷惑おかけしてしまうこともあるかもしれません。
ただ、単独での開催ですので、ゆっくりとご覧いただけると思います。
とても暑くなりそうですので、お急ぎにならず、のんびりとお越しください。
当日はなっちゃん、福祉園の職員さんも参加しますので、制作の様子なども合わせてお話くださると思います。
なんか、職員さんいわく、なっちゃんは販売を頑張ると言ってるとのことですが、ほんとかな。
なっちゃんの担当はご飯とお菓子係なんですけどね。
ランゾウママさんのお弁当もご用意してお待ちしています。

ちなみにミッキー部長は男性です(笑)
今でも女性と思われていることがありますが、当日は男性スタッフは私しかいませんので、気兼ねなく話しかけてくださいね。

休憩もしていただけるように、椅子もご用意しておきますので、すぐにお帰りにならずに、ゆっくりしていってください。
明日搬入ですので、搬入後の様子を記事にアップしますね。

皆様のお越しをお待ちしております。




| 23:02 | KAZU通信 | comments(2) | - |

ちょっと最近気持ちも沈みがちで、更新も遅くなってしまいました。
大切な人を亡くす喪失感というものは直後の深い悲しみだけではなく、その後延々と続く虚しい日々にこそあるのかもしれません。
東日本大震災から二年が経ち、当然のことながらあの時のKAZUさんの様子と奮闘ぶりが思い出されます。
三宅島や淡路島での地震、海外での爆発事件など暗いニュースが多く、直接的、そして間接的にでも被害にあわれた方たちの気持ちをおもんぱかれば、その悲しみ苦しみは如何ほどかとただただ恢復を願うばかりです。

時間を見つけてはKAZUさんのお墓参りに行くようにしていますが、3月中頃に訪れた時には相変わらずおとなしく佇んでいた金木犀。





新芽が出てきているようですが、去年からずーっとこの状態のままで、本当にこの芽が伸びてくるのか疑問に思っていました。

3月中旬はちょうど水仙が見頃でした。



ただ、梅に遅し桜に早しとでも言うのでしょうか、もう少し早いか遅いかであればより一層花々を楽しむことができたかもしれません。

というわけで、先々週ですが再度訪れました。
毎年この時期にはイギリスから妹家族が帰省しますので、去年に引き続きみんなで一緒にお墓参りです。
早いものですね。
花ちゃんとジョージくんと一緒に猫ちゃんレンガを設置したのがちょうど一年前です。
前日、前々日と暴風雨で心配しましたが当日は朝から眩しいばかりの快晴でした。



イギリスではこんな快晴はめったに見られません。
たいていどんよりとした曇り空、晴れていても雲の薄い膜を通した感じのようです。
二人にとってはちょっとした小旅行のようなもので、海も近いですし楽しみにしてくれていました。



お寺の裏を散策。
自然いっぱいの場所です。

前回のお墓参りから三週間あまり。
なんと金木犀の様子が変わっていました!



あちこちから葉が伸びて、あふれんばかりの生命力にみなぎっていました!





この僅かな期間でこれほどまでに変わるのかと驚きました。
見た瞬間に思わず「すごい!」と大きな声を出してしまいました。
植樹から一年半、しっかりと大地に根付き、羽を広げるのを見たのは初めてです。
ほんとうに嬉しかった!
このまま枯れてしまったらどうしようか、などと考えてもいたくらいですから。
やっとこれでひと安心できるとともに、木になって生まれ変わりたいと願ったKAZUさんとの約束も果たすことができそうです。

いつも道中でお花を買うのですが、今回選んだのは極楽鳥花。



この花にも思い出があって、もう二十年も前になりますが、仲間内で人を花に例えるとどんな花になる?なんて話をしました。
あの人は百合、あの人はパンジー、そしてKAZUさんは極楽鳥花。
まあ、人によってはKAZUさんがどんな花なのか様々だと思いますが、当時の彼女はまさに極楽鳥花のような極彩色の組み合わせがぴったりでした。
ただ、KAZUさん本人にはどうも喜ばれなかったようで、いつまでも嫌味を言われていたのを思い出します。

大きくなり始めた金木犀に気分も上々で、みんなで楽しく海へと向かいました。

まだまだ水は冷たかったのですが、小さい二人にはそんなことはお構いなしのようです。









水着に着替えてだいぶ早い海水浴です。
水もきれいで大はしゃぎでした!

この海岸はKAZUさんの散骨をした場所でもあります。
私にとっても大切な場所の一つです。
また来年、みんなが元気で遊びに来られるのを願って。

次回のお墓参りはまた私一人になってしまいますが、金木犀の成長が楽しみになりました。
今年は花が咲いてくれるといいな。

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| 04:29 | KAZU通信 | comments(10) | - |

「あけましておめでとうございます。」

と、言ってみる練習。

「あー、あー、只今ブログのテスト中。」

新年が始まりました。
みなさんはどんな年明けになりましたか。
私は元日にKAZUさんのお墓参りに行き、帰りにKAZUさんの実家へお線香をあげに行きました。
さあ、新しい一年が始まったぞ、なんて気分にはなれませんし、それこそ、この先10年くらいは喪に服して新年の挨拶なしで過ごしてもいいくらいですが、そうも言っていられません。
仕事では当然挨拶もしますし、日々の暮らしは続いていきます。
みなさんにも形だけ、新年のご挨拶をさせていただきたいと思います。



お墓参りに行く途中でアクアラインから望む太陽。
日の出ではなく、日の入りですが空は青く晴れ渡っていました。
金木犀は何も変わらず、いつものままそこに佇んでいました。

年齢を重ねるごとに一年が早く過ぎ去ります。
私も早晩足腰も弱り、よぼよぼになり、お迎えをただ待つ日が来るのでしょう。

人は健やかなる時は己の人生に思いを馳せることはありません。
いつまでもその絶頂が続くという前提で日々の暮らしを送ります。
身体と心に陰りが見え始めたと実感した時初めて来し方行末を思いめぐらします。

生あるものには必ず死が訪れます。
悲しいけれど避けられない現実です。
人生長生きしてもたかが100年、悠久の時の流れの中ではまさに一瞬こと。
それが50年であっても、120年であって、大した代わりはないのかもしれません。
それでも私たちはそのはかない人生に意味を見出すことはできます。

私たちは人とのつながりの中で生きています。
無人島生活でもしない限り、完全に孤立することは不可能です。
故に、私の存在、あなたの存在は何らかの形で周囲の人に影響を及ぼしています。
望むべくはそれが良い影響であれば言うことがありません。

暮らしはどんどん便利になり、新しいものが生み出されます。
医療の進歩は寿命を伸ばします。
技術の進歩は日々の暮らしを楽にします。
ですが、心の豊かさを大きくするものではありません。
平安の都の時代に生きた人たちが感じた幸福感と現代に生きる私達が抱く幸福感の大きさに違いがあるでしょうか。
日々つつましく暮らす人たちが感じる幸せとその1000倍の資産がある人たちの感じる幸せが1000倍違うでしょうか。
いかな偉人が生み出した発明も、価値観も、決して人を幸せにすることはありません。
生活を便利に楽しくするだけです。

生活は豊かになったが幸せには繋がっていない、などと言います。
そう論じるのは簡単なことですし、なにか自分が大きな社会の陰謀に気づいたかのように語られます。
ですがそれは当たり前のことです。
そもそも生活の便利さと幸福感につながりがあると考える前提が間違っています。

私たちが感じる幸せや喜びは多分大昔からその価値観の根本はまったく変わっていないはずです。
人との直接的な関わりあいの中で肌で感じる喜怒哀楽こそが幸せそのものなのです。
ですから、今日悲しんでいる人に声をかけてあげたあなたの方がどんな偉人よりも立派です。
人の喜びを分かち合って、一緒に喜んであげたあなたは誰よりも正しいのです。

日々の暮らしで悩んでいる人、苦しんでいる人たちも多いことでしょう。
仕事が遅くて怒られる、人間関係がうまくいかない、様々なことが私達を苦しめます。
でも仕事が早くて効率的にできることに意味なんてありません。
少し会社にとって利益があるだけのことです。
あなたより人間として優れているなんてことはありません。
現代社会ではすこしあなたより便利な人だというだけのことです。
人間関係をそつなくうまくこなす人もいます。
そうでない人からするととてもうらやましく思えるでしょう。
でも人間関係を潤滑に回すことで得られることなんてたかが知れています。
むしろ苦しみながら考える姿のほうが人間的で素敵だと思います。

2013年は原点回帰、人間復帰の年になるといいなと思っています。

ちなみに私は新しいものが大好きです。
すぐに飛びついてしまいます(笑)

2013年がこの世すべての人にいい年になりますように!
もちろん猫さんもね。

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| 11:54 | KAZU通信 | comments(8) | - |

ほんと、久しぶりの更新です。
ご心配をおかけしました、すみません。。。
12月の繁忙期にかまけて更新が遅れてしまいました。
なんというか、気持ちも浮ついたままで、寒くなるにつれて物悲しい気持ちになってしまいます。

カレンダーはほとんどの方に行き届いたと思いますが、皆さんに喜んでいただけたでしょうか。
やさしいお手紙やご寄付なども賜りまして、お礼申し上げます。
まだ今年を締めくくるには早いですが、今年の主体性として作ったカレンダーが皆さんのお手元に届いてうれしいです。

さて、先日本格的に寒くなる前にと仕事が終わってからKAZUさんの金木犀に会いに行きました。
出発はそれほど遅くない時間でしたし、まだ十分に明るかったのですが、海を越えたあたりから少しずつ日が陰り始めました。
あれ、こんなに日が暮れるのが早かったかな、などとひとりごちながら道を急ぎましたが、到着する頃にはどっぷりと日が落ちていました。
相変わらず思いつきで動いてしまうので、こんなことになってしまいます。

お墓に真っ暗な中お参りなんて、それも何回も、そんな人はあまりいませんよね。
でも、こう何回も夜にお墓参りすると、慣れたものです。
車にはちゃんとライトアップする機材が積まれているのです。





まだまださみしい金木犀です。
いつになったら緑の葉を生い茂らせるようになるのか、今から待ち遠しいです。
KAZUさんは寒がりでしたので、これからの冬はちょっとかわいそうです。
本当は南国にでも植えてやりたいくらいなのですが、こればっかりはどうしようもなく、我慢してもらう他ありません。
夏に生まれたというのもあるのでしょうか、うだるような暑さが大好きでした。
彼女とは出張も兼ねてラスベガスに何度も足を運びましたが、砂漠のど真ん中の真夏の灼熱の空気がまったく苦もなく過ごせるのは考えられなかったなぁ。





年内にまた一度訪れてみようと思っています。
本当に寒い日が続いています。
皆さんも風邪など召しませんよう、健やかにお過ごしくださいね。

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| 15:43 | KAZU通信 | comments(11) | - |

昨日、体育の日に樹木葬のお寺でKAZUさんの一周忌の法要を行いました。
本来であれば一周忌の命日は過ぎてしまっているのですが、金木犀の花が咲く頃にお経をあげていただこうと考えていました。
日取りがうまく合わず、萩の花も金木犀もほとんど散ってしまっていたのですが、わずかに香りを楽しむことができました。

前日まで雨が降っていましたが、当日は日差しもあり、暖かな陽気の中でおだやかな気持ちでの法要となりました。
大きなものではなく、お経をあげて食事をするだけの簡素な一周忌法要でしたがKAZUさんの子供の頃の話、病床でのこと、彼女のことを感じられる一日でした。



わずかに花の残った金木犀。
ほんの少しでも十分に香りを楽しめます。



萩はほとんど花を散らしていました。
10日ほどは遅かったようです。
来年は10月頭に来ないといけませんね。



お寺に咲く彼岸花です。
道中、あちらこちらでこの花が咲いていました。
お寺やお墓の周りに多いのは、彼岸花は毒性があるため、動物を避ける事ができると考えられていたからだそうです。
忌避植物と言うのでしょうか、その土地を守る役割を果たしているのでしょうね。





KAZUさんの金木犀は元気にしています。
まだまだ樹勢盛んな状態には程遠いですが、ちょこちょこと今年の枝も出てきていますので、ひと安心しました。

そして、新しいネームプレートを設置しました。



かわいいでしょ。
これは作るのに苦労しました。
前回設置したものは雨を吸ってしまって、ボロボロに塗装が剥げてしまいました。
今回はその対策も施して、お人形もイーゼルもプレートもすべて塗装を施しました。
塗装の上から更にクリアコーティングを施してありますので、数年はこの状態を維持するはずです。
でも、本当に大丈夫か、次回来るのが少し怖いですけどね。

先日の記事にも登場したアンコちゃんも今回は一緒にお墓参りです。



KAZUさんにアンコちゃんの元気な様子を見せたかったので、はるばる遠いところ頑張ってもらいました。
とってもお利口で、車の中でもおとなしくしていました。
実はドライブが大好きなんだとか。



そして、こんなくつろぎっぷりを見せてくれました。
普段猫さんばかりと接していますが、ワンちゃんのかわいさもいいなと思いましたよ。

一周忌の命日にKAZUさんのことは振り返りましたが、彼女がいないことにまだまだ慣れません。
生活自体は嫌でもいない状態で進んでいき、受け入れざるを得ませんが、喪失感というものはいつまでたっても埋まらないようです。
こんなはずじゃなかったのにな。
そんな事ばかりを考えてしまいます。
ただ今回ご一緒したのはKAZUさんよりもお年を召した方ばかりでしたので、皆さん兄弟や両親、知人をたくさん亡くされてきました。

「人生なんてこんなことの繰り返しなんでしょうね。」
なんて分かった風なことを呟いてみましたが、
「それでも自分より若い人が先に亡くなるのはつらいことだよね。それがいい子だったらなおさら。」
KAZUさんにとって、お姉さんやお兄さんのような存在だった方たちの気持ちの中でも、彼女を失ったことは私と同じようにつらいことです。

この一年間、彼女の姿を追い求めましたが、残念ながら私にはどこにも感じることができませんでした。
多分鈍感なのでしょう。
いつか、彼女が喜んでいる気持ちを感じ取れることを願って、お寺を後にしました。

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昨日のクイズ?の答えです!
正解者はいませんでした!

答えは「チップさん」でした。
不思議ですよね、なっちゃんにとってチップさんは怖い存在のはずなんですから。
でも心のなかでチップさんは大きな存在なんだと思います。
この絵を本人に見せて、「これだーれ?」と聞くと「チーちゃん」と答えます。
自分でちゃんとチップさんを描いたことをわかっているんです。

さて、カレンダーは苦戦中です。
ちょっとぼーっとしています。
こんな時間にブログをアップしているせいもあるんでしょうが、頭が回転していません。
ちょっと時間を置いて、再度考えたほうが良いアイデアが浮かぶと思います。

できるかぎり早めに構成でもお見せしたいものです。
しばしお待ちをー

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| 03:03 | KAZU通信 | comments(10) | - |

すこし前ですが、未完成だった金木犀の周りの猫レンガを設置してきました。
また足りないなんてことがないように、すこし余裕を持って用意しました。

いきなりの完成図です。







これできちんと境界線ができて、お墓の区画らしくなりました。
KAZUさんには待たせてしまいましたが、ようやく形にすることができました。

お寺の境内には、、、うーん、この木の名前が出てきません
なんて言うんでしたっけ。



秋には小さな白い花をいっぱいに咲かせて素敵なんです。
冬にはまったくの枯れ木のようだったのが、数ヶ月でここまで葉が伸びていました。

一方金木犀はというと、、、





ちょこちょこと、新芽は出てきてはいます。
新しく生えたと思われる小枝もありますので、まだ大丈夫かな。
思っていたよりは成長も遅れていますし、今年は花を咲かせるのは難しいですね。
二年、三年という単位で成長を待ちましょう。

あ、今思い出しました。
萩ですね!


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| 12:25 | KAZU通信 | comments(10) | - |

先月のKAZU通信でお伝えした灯ろう流しですが、16日のお盆の終わりに再挑戦してきました。
場所は河口湖畔です。
東京はうだるような日差しが照りつける一日でしたが、富士山の麓はほんのりと秋の気配も漂う涼しい気候でした。
頂まで数キロでしょうか、眼前に迫る富士山のたもとでの灯ろう流しでした。

前回、東京の洗足池で行った灯ろう流しはそれなりに満足がゆくものでしたが、都会の喧騒、比較的小さな池など、考えていた灯ろう流しとは少し趣が違っていましたので、もう一度気持ちも新たにお盆に自然に囲まれた場所で、魂を返してやりたいと思いました。

ざっと、写真を紹介しますね。



到着した時間は午後5時くらい。
まだ明るいうちは富士山の全景を見ることができました。



そして日暮れに差し掛かった頃から少しずつ灯ろうを流し始めます。











KAZUさんと竹ちゃんの名前が入った灯ろうを流しました。
前回は自分で流すことはできませんでしたが、今回は自ら湖面に浮かべることができました。
竹ちゃんの他に、ミミ、テンというKAZUさんの実家の犬さんの名前も一緒に書き添えて。
ミミはKAZUさんが小学生の頃に暮らした雑種の犬さんです。
テンはKAZUさんの実家で数年前に亡くなったパピヨンで、ぴーんと立った耳が愛らしい犬さんでした。
実はあともう一匹、KAZUさんの実家で亡くなった犬さんがいたはずですがどうしても名前を思い出すことができず、今回は名前を入れてやることができませんでした。

盆の締めくくりとして、気持ちの整理の機会として、ちょうどいい時期に灯ろう流しができました。
ただ強いて挙げれば、灯ろう流しにふさわしいのはやはり川なのかなと感じています。
湖沼の灯ろう流しも各地で行われているのですが、灯ろうは波で漂うだけになってしまい、いつまでもそこに留まってしまうのです。
夏の風情として眺めているだけならば幻想的な雰囲気を体験できるのですが、当事者として魂を送り出す身からすれば、できることならば自らの手で送り出した灯ろうが水の流れとともに手から離れていく様を見てみたかったのです。
日本各地の灯ろう流しを調べてみて、灯ろうにも様々な形がありますし土地柄も色濃く反映される行事になっています。
来年また違う土地で、今回の反省を踏まえて再度チャレンジしようと思います。

KAZUさんは笑ってるんだろうなぁ。
それならそれで、本望ですけどね。

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14日はKAZUさんの誕生日でした。
それと知って、またたくさんのお花をいただきました。











みなさんのKAZUさんへのお気持ち、とてもうれしくKAZUさんにも見てもらいながらKAZUさんコーナーの周りを飾っています。
何のお礼もお返しも出来ませんが、ありがたく受け取らせていただきます。

当日はKAZUさんと私の長年の猫ボラ仲間が誕生日のお祝いに駆けつけてくれました。
誕生日ケーキでお祝いです。



ロウソクの本数には意味ありませんから!
そしてなっちゃんにはかわいい肉球の形をした人形焼のプレゼント。



KAZUさんとの思い出話にひとしきりKAZUさんの存在を感じることができました。
実は今月、隅田川で灯ろう流しをして下さったそうです。
他の方ですがハワイでもKAZUさんの灯ろう流しをして下さった方もいます。
イギリスでも散骨されていますので、日本各地、世界各国を旅しているKAZUさん。
旅行好きだった彼女にぴったりの供養かもしれません。

ようやく一周忌、誕生日と大きな行事を終えることができました。
彼女の死には語り尽くせぬほど様々な思いがありますが、それはまたの機会に譲りたいと思います。
一年が過ぎ少しずつ気持ちも変化を見せます。
ただひとつ、彼女が見ていれば、笑顔いっぱいに笑っていてくれるように祈りを込めた今年の盆でした。

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| 03:08 | KAZU通信 | comments(10) | - |

まだ夢の中にいます。
夢かうつつか、判然としないまま時は流れて行きます。

KAZUさんは「もしも話」が好きでした。
「もし自分が男だったら」
「もし私が外国人に生まれていたらどうなっていたか」
そんな他愛のない話に花を咲かせることも多かったことを思い出します。

「もし時間を戻せるとしたらいつまで戻したい?」
彼女の答えは決まっていました。
まだ明るい将来を信じて疑わなかった高校生の頃。
普通の女の子が思い描く未来、素敵な旦那さんを見つけて、かわいい子どもを産んで、しあわせな暮らしが続いていくこと。
それは彼女自身が感じている自分の今が、思い描いていたものとはかけ離れてしまっていたことに対する苦悩の現れでもありました。
若くして子供を授かり、その子に重い障がいがあるとわかった時、彼女の未来はまったく違う方向へと歩みを進め始めたのです。
自分の娘との歩みは彼女にとっては人生そのものであったことは間違いありませんし、そのことが彼女に強さと生きる意味を与えてきたことは確かです。
それでも違う人生もあったはずだと思うのは人として自然なことです。
だからこそ、人には言えない苦しみを抱えながら、生きることの意味を模索し続けたのでしょう。

障がいをもつ子供を抱えた両親が、それが自分の人生だと割り切ることができることもあるでしょう。
逆にそのことが自らのしあわせとなって、素晴らしい人生を歩む方もいらっしゃると思います。
ですが、彼女は聖人ではありませんし、ましてや観音様のように達観した人生観を持っていたわけでもありませんでした。
違う人生を夢見ることは、娘の存在を否定することと同じであることもまた、彼女は理解していました。
母としての慈しみと報われない一方通行の愛情とのせめぎあいの中で苦しんだ人生でもありました。

人は二面性を持ちます。
明るく振る舞っている人ほど、暗い闇を抱えていることもよくあることです。
彼女が人とのつながりを何よりも大切にしていたのは、そこにぬくもりやあたたかさ、安らぎを求めていたからです。
彼女が私が知る誰よりも、人間味に溢れ、あたたかな心を持っていたのはそのためだったのです。
初対面の人でも大きく手を広げて抱きつくことが出来る人。
誰に対しても先入観を持たずに、ありのままの自分をさらけ出せる人。
楽しいことがあれば大声で笑い、うれしいことがあれば身体ぜんぶを使って表現し、悲しければ声を上げて泣く。
その魂はどこまでも穢れなく、純真無垢なままでした。
子供のようなきれいな心を持って大人になったゆえ、その事自体が時として人生に暗い影を落とすことも多々ありました。
特に人間関係ではうまくやり過ごすことができそうなことでも、自らを納得させることは苦手でした。
大いに傷つき、また傷つけることもあったと思います。

ですが、私はそんな彼女が大好きでした。
私が持っていないものを彼女はたくさん持っていました。

「時を戻せるとしても、今の記憶をなくしたら意味ないよ」

今の私達ももしかすると戻された時の中で暮らしているのかもしれません。
一年後に地球規模で核戦争が起き人類が滅亡する未来があったとして、その時に一年前に戻りたいと願い、その願いが聞き届けられたのかもしれません。
その記憶がないだけ。
でもそんなことで、しあわせを感じることなんてできません。
私はすぐに頭を巡らせてしまいます。

そんな私でも、彼女の魂が安らかな場所にいることを願わずに入られません。
その一縷(いちる)の望みはいつまでも心の片隅に置いておこうと思っています。

「あふと見て覚めにしよりもはかなきはうつつのゆめの名残なりけり」

彼女の存在自体が夢だったのか、記憶のおぼろゆくままに、いまだ夢の中をさまよっています。

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昨日のKAZUさんの一周忌にはたくさんの方にお花やお供物をいただきました。
あらためて、お礼申し上げます。
私の小さな事務所は置き場に困るほどの花で埋まりました。
今朝はむせ返るような花の香りとも目覚めました。





































ノンママさん、もふいのちさん、ドーラちゃんの里親さん、銀のママさん、KiTTとKARRのママさん、和光のKさん、ランゾウママさん、ねこのお姐さん、みよちゃん、りんさん、しっぽのなかまさん、レオンの姉さん、ゆきんこさん、むささびお京さん、明日茶さん、スズナさんとクリスさんの里親さんYさん、鳥取のKさん、新潟のNさん、アンジちゃんの里親さんIさん、株式会社東伸さん、出津会計事務所Tさん、アンディ&ヴィヴィアンの里親さんTさん、モリーさん、浦和キャッツさん、みつまるさん、あきちゃん、K夫妻、その他大勢のKAZUさんを思ってくださる方々。
本当にありがとうございました。
私もみなさんのおかげで、なんとか日々を過ごすことができています。

しっかりとした準備もないままにお迎えすることになり、不手際もあったとおもいますが、多くの方にお越しいただきました。
KAZUさんのお話、一緒に暮らす猫さんのことなど、楽しいお話を聞かせていただきました。
このかけがえのない時間はKAZUさんも一緒に過ごしてくれたかな。
一年がたった今でもみなさんの中でKAZUさんは確かに存在しているのだなと、感慨深い一日となりました。
お越しいただけなかった方も工芸展やバザーなど、機会を作って行きたいと思っています。
みなさんとKAZUさんへの感謝の気持をいつまでも持ち続けていたいと思います。

あまりにも多くのお花といただきもので、お名前の書き漏らしがありましたらお詫び申し上げます。

KAZU&ミッキー部長

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| 00:02 | KAZU通信 | comments(11) | - |

私は京都府出身です。
出身といっても、生まれが京都府というだけで、生活基盤はずっと東京です。
両親がふたりとも京都市の北区鷹峰で生まれ育ちましたので、私も子供の頃から夏休みや正月には祖母の家に遊びに行きました。
京都のお盆は五山の送り火など多くの行事があります。
北区鷹峰と言う場所は金閣寺の少し北西に位置しており、大文字山がよく見える場所です。
小さい頃は左大文字を見に行くのが毎夏の行事となっていましたが、もちろんその意味は知る由もありませんでした。
京都府は金閣寺の裏手で生まれましたが、意外と京都の風物詩も知らず、金閣寺や北野天満宮くらいしか行ったことがありませんでしたので、大学生の時に初めて友人と京都観光で嵐山などの一般的な観光スポットに足を運びました。
盆の嵐山といえば灯ろう流しです。
大学生になってさえ観光としての側面しか見ていなかったのですが、桂川の両岸に柳が枝垂れている様や川面をたゆたう灯ろうの薄暗さ、夕方から夜更け過ぎの透き通った空気感は今でも覚えています。

KAZUさん亡き後、いつ思い立ったか覚えていませんが、今年の盆は灯ろう流しで彼女の魂を送り返そうと決めていました。
もちろん京都まで足を運んでもいいのですが、嵐山の灯ろう流しは観光行事として定着しており、できればもう少し静かな場所でこじんまりとした灯ろう流しはないものかと探していました。
調べているうちに東京でも灯ろう流しを行なっていることを知り、東京ですから新盆の7月中旬に行われるとのことでした。
場所は大田区の千束にある洗足池で、池のほとりのお寺さんが毎年催していました。
あらかじめ今月3日に灯ろうの名入れの申し込みに訪れました。

あいにくの雨でしたが、お寺の境内と裏から眺む池の様子を撮影してきました。











そして、ミニ工芸展の翌日16日、洗足池の灯ろう流しが行われました。
様子はフォトムービーにまとめてみました。



携帯の方はこちら

暗めの音楽を選んでいますので、すこしばかり陰鬱な感じを受ける方もいらっしゃるかもしれません。

想像していたよりは流された灯ろうの数が少なかったですね。
川での灯ろう流しは上流から下流へと流れますが、池ではやはり一箇所に停留してしまいます。
KAZUさんの名前の入った灯ろうを探してみましたがなかなか見つかりません。
池を全周してほとんどの灯ろうを確かめてみましたがどこかぽつんと一人ぼっちではぐれてしまったかな。
それもKAZUさんらしいといえばそうなのですが、、、

盆で迎え入れた魂を送り返すという、この灯ろう流しですが、この夏はもう一度やりたいと思っています。
今度はもう少し大きなところを探してみます。
都会の真ん中の池はどうしても騒々しい感じは拭い切れませんでした。
もっと自然に囲まれた場所の方が灯ろう流しの雰囲気と意味合いにふさわしいと感じています。
一周忌には少し早く、まだこの一年を振り返りたくはないのですが、それは彼女の死を過去のものにしたくないという思いの裏返しなのでしょう。
以前は盆などというものは交通渋滞がいやだなという程度のものでしかありませんでしたが、これからは毎年の盆が来る度に気持ちの高ぶりと、浮ついた気持ちと、逆に沈痛な思いとが入り混じる複雑な季節になるのだと思います。

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千葉県のK様からかわいいピンクのアレンジメントをいただきました。
お気持ち大切にうかがいました。



キジレンジャーのももちゃんの里親様からすてきなお菓子をいただきました。
なっちゃんと一緒におやつタイムにしたいと思います。
お心遣いありがとうございました。

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| 00:04 | KAZU通信 | comments(10) | - |

このところ仕事が忙しく、しばらく訪れることができなかったキンモクセイ。
今日は早めに仕事が終わったので、急に思い立って様子を見に行きました。
実はまだ完成できていない猫レンガの飾り付けですが、今日は用意もなく急ぎ足でのお墓参りになりましたので、また次回には終わらせないといけませんね。
久しぶりの樹木葬地はずいぶんと雑草が生えていました。
ほんの2ヶ月ほどですが、こんなにガラッと様子が変わるなんて、雑草が伸びるのが早いことに驚かされます。
その一方で、肝心のキンモクセイですが、いくらか葉が落ちていて、ちょっと元気が無いみたい。
新芽もあまり伸びていないので、すこし我慢の時期でしょうか。
これは造園屋さんに写真を見せて診察してもらったほうがいいかも。
すでに大きくて立派なキンモクセイにごっそり植え替えてもいいんですけど、このキンモクの下にはKAZUさんが眠っていますから、なんとかこのまま大きくなってくれたらいいんですけど、、、





この時期にどうしても行きたかった理由は紫陽花が咲いていると思ったからです。
たしか境内に結構紫陽花があったような、なんて思っていたのですが、予想ほどには咲いていませんでした。
それでもあちらこちらに可憐な花を咲かせていました。









もうすぐKAZUさんが大好きだった夏が来ます。
夏に生まれ、夏に土へと帰っていったKAZUさん。
今年の夏はどんな思いで迎えるのか、今からすこし怖い気もしています。

以前のKAZU通信で触れたことがありますが、私とKAZUさんの共通の上司だったM支配人という方がいらっしゃいます。
出会ってしばらく後に定年退職されましたので、今や70歳後半になるのでしょうか。
退職後も数回は食事に連れて行ってもらうなど交流もありましたが、もう10年以上も連絡をとっていませんでした。
M支配人とはKAZUさんの方が一緒に仕事をしていた期間が長いのですが、KAZUさんの訃報について連絡すべきかどうか、ずっと迷っていました。
連絡先は分かっていたのですが、まず第一に連絡が取れなくなってしまっている可能性があること、年齢も年齢ですから、もしかすると、、、なんてことも考えると連絡することが怖かったのです。

つい先日仕事中にふと思い出し、忘れないうちに連絡しておこうと、携帯電話に電話してみました。
すると、聞き覚えのある懐かしい声が聞こえてきました。
安堵し、ほっとしたのもつかの間、私が名前を伝えても、誰だか分からないのです。
彼の記憶を辿るように、お店の名前、通っていた場所、ひとつずつ話を進めていくうちにようやく思い出してくれたようです。
もちろんKAZUさんのことも。
KAZUさんのことは伝えづらかったのですが、ありのままに聞いてもらうと、
「それは残念だったね。でも、あいつらしい人生だったんじゃないかな。」
そんな言葉が帰って来ました。
KAZUさんや私にとっては、M支配人抜きで人生を語れないような、心の広い、やさしい方でした。
なぜかKAZUさんと私を気に入ってくれて、特にかわいがってくれたものです。
彼の中でもKAZUさんのことは気になってはいたようで、連絡をくれたことをよろこんでくれていました。
以前は世田谷に住んでいましたが、今は伊東温泉の近くに居を構え、もう10年以上になるそうです。
お母様が長生きされ、100歳を過ぎたところで亡くなったそうです。
お母様のために伊東温泉に移住したとのことでした。
そういえば、伊東温泉の話はKAZUさんに聞いたことがあったかもしれません。
軽い脳梗塞もあったようですが、一人で身の回りのことはできているとのことで、すこし安心しましたが、出来る事ならば早いうちに一度会いに行ってみたいと伝えました。

私が大学生になりたての頃に出会ったM支配人とKAZUさん。
永遠とも思えるような、精一杯生きていた数年間。
M支配人とKAZUさんと出会わなければ、私の人生はまったく違ったものになっていたことでしょう。
KAZUさんの訃報を伝えることができて、心の足かせがひとつが消えました。

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| 04:39 | KAZU通信 | comments(9) | - |
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